たぶん、今現在青道高校野球部で一番不幸な男、伊佐敷純の受難。




「ねぇ、純、知ってる?」
「あ゛?何をだよ。」
「ほら、純がこの前言ってた新しく一軍に入ってきたピッチャー…名前、なんだっけ、御沢君?」
「は?んな奴いねぇぞ。」
「ちがうー?…沢がついてたような気がするんだけど…」
「沢村じゃねぇの、それ。」
「あ、そうそう!沢村くん!」
「…そいつが何かあんのか?」
「実は、二年生のキャッチャー…名前は……御幸君か!その子とデキてるんだって!」
「…はぁ?!」
「そうそう、だから沢村君の名前を御沢君って間違えたんだ!カップリング名が御沢だから!」

ザワザワと騒がしい教室の中、購買で買った弁当を広げたまま固まっている伊佐敷に構うことなく興奮気味に語る女、彼女こそ伊佐敷の幼馴染の。彼女は世間で腐女子と呼ばれる部類に当たる。そしてそれを伊佐敷は知っている。幼稚園の頃からなんだかんだ言って仲がよかった伊佐敷と…地元を離れてもなお同じ学校でしかも同じクラスである、と表面から見ればかなり運命的な二人ではあるが、現実は少し違う。仲がよいのではなく、伊佐敷は昔からに逆らうことが出来なかっただけであり、また、同じ学校になったのも伊佐敷が青道の野球部のことをポロリと口を滑らせて言ってしまったところ、が「名門の野球部!におう、におうわ!そここそが私の楽園!」と言って青道を受験し受かってしまっただけのことである。同じクラスなのは…まぁ、そこは少なからず運命的ではあるわけだが。そんなことはとにかく、は腐女子であることを伊佐敷に隠してはいない。むしろ堂々とそういった(男性同士の同性愛だとかの)話題を伊佐敷に言い、それだけに飽き足らず伊佐敷にコメントを求めるというかなりおおっぴらなものである。そして、今回もまた然り。こうして伊佐敷が所属する野球部(にとっては妄想の糧だ)のありもしない(と伊佐敷自身は信じている)ことを大きな声で語っているわけで。

「ねぇ、やっぱりコレ、本当のことだよね!すごいね、さすが野球部!」
「いや、ソコ野球部が見直される意味がわかんねぇ。」
「だって、野球と言ったら青春、青春と言ったら恋、恋と言ったら燃え上がる禁断モノでしょ?!」
「明らかにおかしいだろ!」
「どこがよ!」
「御幸も沢村も男だぞ!」
「んなっ、そんな小さいことまだ気にしてるの?!」
「まだってなんだよまだって!」
「純は哲のことが好きになって、そんなの小さいコトだって気付いたんでしょ!?」
「あ゛?!ちょっと待て、俺がいつ哲を好きになった!?」

思いもよらぬの言葉に伊佐敷は思い切り大きな声で反応する。の大きな声に加え伊佐識の大きな声までもが、教室に響き渡っていた。話の内容が内容なだけに、教室中の視線が一気に二人に向けられる。特に一部の女子からの熱い視線が伊佐敷に突き刺さっていた。

「つか!哲はお前の彼氏だろ!」
「そうだよ。でも、想うのは自由じゃない?だから、私、咎めないよ、純!」

グッと親指を立ててウィンクをしながら言う。その表情が妙に生き生きしていることに、伊佐敷はこっそりと殺意を覚えた。それを表面に出せないのは、おそらく幼稚園の頃からの経験の所為であろう。伊佐敷はやり場のない苛立ちを発散させるため、右隣の机の脚をガンッと蹴った。

「とりあえず、何度も言ってんだろ!俺は、お前の考えてるようなコト、思ってねェよ!」
「またまたー、純ちゃん、君、私と何年の付き合いだと思ってんの?私は純ちゃんの考えてること、ぜーんぶお見通しなのだよ!」
「…俺は何年たってもお前の考えてることがさっぱりわかんねー…つか、だれが純ちゃんだコルァ!」
「純ちゃんは純ちゃんだよ!」

にっこり笑って言うに、伊佐敷はため息をついた。そして、これ以上相手をしていたくないと思ったのか、そのままお弁当の中身を口に運び始める。

「もー、純はすぐに拗ねるんだからぁ…あ、哲!おかえりー!」
「あぁ。ただいま。ん?純、どうしたんだ?」
「純ね、すねちゃったよー。純ってば図星指されるとすぐ拗ねるの。」

困ったチャンだね、と笑うは購買でお茶を買うために席をはずしていた結城を自分の隣の席に手招いた。結城はそんなの隣の席に当たり前のように座る。本来この席の男子は、今は結城の席に座っている。これはいつものことである。結城は自分が買ってきた二本のペットボトルの内、小石井のイチゴミルクとラベルのついたものをに手渡した。ありがとう、と受け取ったの表情は今までの笑みとは違い、とても柔らかい印象だ。そしてそれに対する結城の表情も穏やかで、まるで何かを見守っているような印象を受ける。

「ところで、何が図星だったんだ?」

それからしばらくして、思い出したかのように結城がと伊佐敷に聞いた。弁当箱を鞄にしまっている最中だったは、え、と首をかしげ、伊佐敷は眉間に思い切りしわを寄せる。すぐにはあぁ!と声をあげ、にこりと笑った。

「純ちゃんは哲がだーいすきだね、ってコト。」
「おいコルァ!、ありもしねぇことを、さも真実のように言うんじゃねェ!」

伊佐敷はの頭に軽くチョップをする。一応、は女子だからと言うことで手加減はしているらしい。はわざとらしく「いったーぁい」と言い頭に手をあてた。そんな二人の様子を見て、ふむ、と結城はあごに手を当て何かを考える。そして、おもむろに伊佐識の両肩をつかんだ。

「…おい哲?」
「……気付かなくてすまない、純。」
「……は?」

真剣なまなざしで伊佐敷を見つめる結城に、伊佐敷は目を丸くした。は一瞬、目の前で起こったことに驚いたが、すぐにニヤニヤと表情を変えた。しばらくしても尚も伊佐敷を見据えたままの結城に伊佐敷は困惑する。クラスの視線が、またもや伊佐敷たちに集中しだした。

「おいコルァ!哲!てめェ、ふざけた誤解してんじゃねー!!!!」

耐え切れなくなったのか、伊佐敷は思い切り叫んで結城にアッパーをかまそうとした。だが結城は瞬時にソレを避け、元の体制に戻る。そして伊佐敷を不思議そうに見つめた。

「…誤解?いや、冗談のつもりだったんだが…」
「ブッ…純ってば本気にしてたんだー。」

結城の言葉に続いてがからかうようにそう言ってきた。伊佐敷はヒクヒクと頬を引きつらせ、二人を見つめる。それからしばらくして、教室にいつもよりも盛大な伊佐敷の怒号が響いたのは、言うまでもない。