甘い香りがした。
「Hey!小十郎!は何処行ったんだ?!」
バタバタと荒々しい足音と共に大きな声が聞こえてきて小十郎はため息をついた。
せっかく頭に浮かんできた短歌を書きとめようと持った筆を、下ろす。
さっきまではきちんと仕事なさってくれていたのに、と小十郎は心の中で呟いた。
もちろん、それは口にしないけれど。
「殿ならさきほどまで自室でおやすみになっていらっしゃいましたが…。」
「いねぇんだよ。」
政宗はそう言って舌打ちをした。
前髪をかきあげ、眉間にしわを寄せる。
、ことは政宗が城主である米沢城で女中として勤めている。
が、それは名目上の事であって事実はそうではない。
「あれほど一人で出歩くなって言ったのに・・・なにやってんだ、アイツ。」
「城の中にいるのではないんですか?」
「…門番兵が外に出てくアイツ見てんだよ。だからお前に聞きに来たんだ。」
政宗はそう言って、小十郎をにらむ。
「お前は知らねぇんだな?」
「知りませんよ。そんなの。」
小十郎はそう言って、またため息を一つ。
どうして自分があんな放浪癖のある殿の行き先など知ってるのですか、と呟いたら政宗はまた舌打ちをして去っていった。
政宗が去っていった方向を見て、また筆を持つ。
あの政宗さまを振り回すなんて、殿は素晴らしいお方だ、と小さい声で呟きながら筆を進めた。
「甘い匂いがする。」
そう呟いて、城を出てからたぶん半刻もたっていない。
甘い匂いの元の下、はただただそれを見上げていた。
「金木犀・・・だよね。」
甘い匂いの元、金木犀を見てはそう呟く。
昼は暖かいとはいえ、今はもう秋。
少し肌寒くなった体をちぢこませると、あぁもう夕方なのか、とやっと気付いた。
不意に馬のひづめの音が聞こえて、あ、と声を漏らす。
だんだんと近づいてきたそれに、振り向いて。
「政宗さま、」
名前を呼んだ。
すると馬の上から、よぉ、、と自分の名前を呼ぶ声が聞こえて、は嬉しそうに笑う。
縮こまったままの小さい体で見上げると、政宗は怒った顔をしていた。
「政宗さま、顔が怖いです。」
「Ah?ふざけた事言ってんじゃねぇぞ、こンの万年放浪馬鹿女!」
「・・・え?」
「あれほど一人で勝手に出歩くなっつったのになに考えてんだッ」
そう言って、政宗は馬上からを持ち上げる。
は宙に浮いたままの体にビクリとして、それでもさっきより断然近くなった金木犀に目を奪われた。
そんなに気付いた政宗は、ため息をつく。
「こんどの放浪の理由はコレか?」
「はい、そうですね・・・。城の門からそぉっと外を見てたら、甘い匂いがしたんです。」
「で、城の外に出たと?」
「・・・ごめんなさい。」
が小さくなってそう言うと、政宗はため息をついてを自分の前に乗せる。
もういい、と言うとはパァっと明るい笑顔になる。
「政宗さま、金木犀っていい匂いですよね。」
そう言っては金木犀を一枝手折り、政宗に差し出す。
政宗はそれを受け取り、花本に持っていって匂いをかぐ。
「・・・くせぇ。」
「それはそんなに近づけるからですよ、こうやって、少し離して嗅ぐと甘い匂い・・・。」
「さっきからする甘いのはこれか。」
「そうです。気付くの遅いですね、政宗さま。」
小さく笑ってそう言うと、政宗を見上げた。
「金木犀の花言葉、“高潔”って言うんです。政宗さまにぴったりだなって思ってたんですよ。」
ニヘラと笑ってそう言うと、政宗はすこしあっけにとられた顔をする。
はそれがどうしてか分からなくて、政宗を見上げながら首をかしげていた。
それから少しして、政宗が少し照れながらの頭を撫でる。
「Thank you...」
「えへへ、どういたしまして。」
は嬉しそうに笑い、政宗もとても嬉しそうで。
二人で少し話しながら、城までの道をゆっくりと馬で進んでいった。
柔らかな香り
(金木犀の下、あなたに見つけてほしくて)