彼のことをもっと知りたい、だから、勇気がほしい。
私の右隣、いつも古典の授業になると寝ている彼、仲沢利央くんのことが気になりだしたのはちょうど1ヶ月前だった。
放課後にいつもと同じように礼拝堂へ行った私は、そこできらきら光る彼を見た。
いや、彼が光っていたわけではないんだけれど。
その綺麗な色の髪に太陽の光が反射して、それが、まるで、天使のように。
彼はステンドグラスのイエスキリストに何かを言って、そのまま去って行った。
何を言っていたのだろう、なぜ、礼拝堂に来たのだろう。
気になりだしたら、それは止まることもなく、坂道を転がっていくように。
「おい利央、なに寝てんだー?」
授業が終わっても寝続けていた彼の元へ、先輩方がやってきた。
その中の1人が、利央君の頭をポカッと叩きながらそう言う。
すると、利央君はさっきまでの熟睡が嘘のようにすばやく身体を起こした。
「…なんすかー、準さん…。」
利央君は寝起きがあまり良くないみたいだ。
また一つ彼のことを知れて、少し嬉しくなりながらも隣で交わされる会話に耳を傾ける。
盗み聞き、と言われてしまえばそれで終わりかもしれないけれど。
いかんせん私は男子と話すのが苦手で、だから、彼のことを知るにはこれが一番の方法なのだ。
「お前さ、さっき自分で言ったこと忘れたのか?
キャッチの練習したいから休み時間に付き合ってくださいって俺と和さんに頼んだのはお前だろ。」
「あっ、忘れてた!」
「…ったく、馬鹿だな利央は。和さんも何とか言ってやってくださいよ。」
準さん、と利央君に呼ばれた先輩はそう言って隣にいる体の大きな先輩―準さん先輩、曰く、和さん先輩―に視線を送った。
和さん先輩(勝手に命名しちゃいました)は困ったような顔で、そうだなぁ、と声を漏らした。
「利央も疲れてたんだろ、仕方無いさ。」
「和さん甘いッすよ!馬鹿な利央にはきちっと言わないと。」
「あッ、準さん俺のこと馬鹿って言った!俺、馬鹿じゃないし!」
「いーや、お前は馬鹿だな。」
和さん先輩の言葉の後に続いた準さん先輩と利央くんの言い合いが、なんとも面白い。
私は思わず、ふふっ、と声を漏らして笑ってしまった。
すると、準さん先輩がそれに気付き、にまぁっと笑う。
「ほら、お前クラスメイトに笑われてっぞ。あ、どうも。バカ利央がいつもお世話になってます。」
準さん先輩は意地悪く笑って利央君を突付いた後、私に軽く頭をさげた。
私はいきなり話を振られたことに驚きながらも、首を振る。
「いっ、いえ、あ、あの…!」
「ちょ、準さん!さんが困ってるっしょ?!」
あたふたとする私を見て焦った利央君がそう言った。
すると準さん先輩がさらに笑みを深めた。
「へぇ、さんね…、よろしく、俺、高瀬準太。」
「え…っと、あの、、です?」
「ぶっ、なんで自己紹介で疑問系になんの!」
「えぇぇ?!」
「…くっくっく…おもしれぇ…」
私の言葉に吹き出した準さん先輩はそのままおなかを抱えて身体を傾け笑っていた。
そんな準さん先輩にどう反応していいかわからずさらにあたふたしていると、利央君が申し訳なさそうに謝ってきた。
そういえば、初めてこうして利央君と言葉を交わしたかもしれない。
そう考えて、べつに、利央君が謝ることじゃないよ、と笑って言った。
礼拝堂の中は、夕日がステンドグラスにより色を変え、幾色もの光が筋となっていた。
私はその中で静かに本を読む。これが日課だった。
あの休み時間からずっと胸がドキドキし続けていて、今もそれは止まることが無い。
たった一言言葉を交わしただけなのに、ただ、それだけなのに、こんなにもドキドキしてしまうなんて。
熱くなった頬に手を当て、ふぅ、と息をつく。
さっきまで開いていた本が、ぱた、と閉じた。
ステンドグラスのイエスキリストを見上げ、少し羨ましい、なんて呟いてみる。
だって、あなたは利央君と秘密のお話をしたんでしょ、って、バカみたいな事を言った。
また、ふぅ、と息をつき、沈黙。
すると、ギィッと礼拝堂の扉が開いた。
「?!」
私は思わずその場で寝たフリをした。
だって、入ってきた人が利央くんだったんだから。
「…あ。」
利央君の声が、礼拝堂の中で響く。
どうか、寝てるふりがばれませんように、となぜか考えた。
コツン、コツン、とローファーの音が近づいてきて、私の横で止まった。
「…さん。」
利央君はそう呟いて、再び歩き出す。だが、靴音は一度で止まった。
ギッ、と木の椅子が軋む音が前からした。
たぶん、利央君が私の前の席に座ったのだろう。
「…さん、」
もう一度、呼ばれる。
私は返事をすることなく、寝たフリをし続けた。
「さん、さん、サン、サン、サン、…………」
呼ばれる名前が、変化していき、最終的にしたの名前を呼び捨てで呼ばれた。
…心臓が飛び出そうだ。
ドキドキドキドキ、心臓の音がうるさい。
やだ、こんなんじゃ、利央君に聞かれちゃう。
なんとかドキドキを堪えていたら、私が身体を突っ伏していた木製の机が、ギィッと軋んだ。
片目をばれないように恐る恐る薄く開けると、利央君の顔が近く似合った。
利央くんは、私と同じ机に肘を突いて顔を近づけていたのだ。
「、………、好きぃ。」
…え?
最後の言葉が、私の心臓を最上級に刺激する。
ドキドキドキドキ、心臓の音が、利央君に届いてしまいそうだ。
「へへー、寝てる時なら、言えるんだけどねぇ。ばあちゃん、この子がだよぉ?」
利央君は1人でそう呟いていた。
おばあちゃん…、もしかして利央君のおばあちゃんがそこにいるのだろうか。
気になる、気になってしまう。
目を開けてしまいたい。
目を開けて、さっきのは本当ですか?と聞きたい。
「今日は準さんたちに見られてからかわれちゃった。準さん俺の恋路を邪魔すんの。ひどくない?!」
誰に話し掛けているのかわからないけれど、利央君は一生懸命喋っていた。
恋路って、どういう意味なんだろう。
利央くん、まさか、誰かに恋をしてる?!
…え、誰?!ショックなんですけど…!
「しかも準さんってば慎吾さんに、が可愛いって教えちゃうんだよぉ?ライバル増えるの嫌だよねぇ…」
利央君はそう言って、ふぅ、と溜息をついた。
…ちょっと待って。
うぬぼれて、しまいそうだ。
もしかして、もしかしてもしかしてもしかして。
今、私の目の前にある二つの道。
目を開けて明るい未来を夢見るか、目を閉じたまま今のままを望むか。
私が選ぶのはもちろん前者に決まってる。
ほんのわずかな勇気を
(そうしたら、ねぇ、私はあなたの胸に飛び込むの)