やさしさなんていらなかった。




今日がと過ごす最後の日だ。

は今、武田と敵対する国の姫で、今回の俺が暗殺を命じられた相手。
を油断させるために、旅の商人だといって近づいた俺を一瞬で忍と見破った。
けれど、逃げるわけでも他に告げるわけでもなく、ただこうして俺の嘘に気付かぬふりをしている。

は、変わった姫だ。
柔らかな物腰、優しすぎる心、武家の姫としては珍しかった。
俺がここにきた本当の目的だって知ってるはずなのに。
佐助、と俺の名前を呼ぶ声が好きだった。
やさしく俺を包み込む柔らかなその瞳に宿す光がたまらなく憎かった。


だから、聞かずにはいられなかったんだ。
俺の目的を知って、それでも俺を、愛してる、なんて言う君が何を考えてるのか。
何を思って俺にそんなことを言って、何を思ってそんなにやさしい瞳で俺を見つめるのか。

「そんなこと、聞くの?」

予想通り透き通るような綺麗な声が、俺に囁くように言った。
板の間で、一人貝合せをしていた手を止め、部屋の隅に座る俺を見つめる。

「今日の佐助、とても変ね。」

クスクスと笑う声が、部屋の空気に染み込む心地よいその響きが、今ではとても痛い。
俺は立ち上がって、が座る横まで移動した。
そしてストンとその場に座るとは微笑む。

そんなを見ていられず、視線をそらして逃げるようにまた聞いた。
俺の目的、知ってるんでしょ、と、呟いて。

「目的?…あぁ、えぇ。知ってるわ。」

やわらかく微笑むが、俺の手に指を絡めた。
俺がと出会うまで知ろうともしなかった、戦を全く知らない細い指。
振り払おうと思えばいくらでも出来るのに、体がそれを拒む。

「でも、私は佐助を愛してるんだから。仕方ないの。」

そう言っては頭をコテンと俺の肩に乗せた。
の言葉は今の俺にはとても残酷で、とても絶望的で、でもとても愛しくて。

「たとえ、私を殺すのが目的だったとしても。こうして私の隣にいる佐助が、愛しいんだから、仕方ないの。」

そう呟くの声がほんの少しの哀しみを含んでいた事に、気付く。
けれど俺は気付いてないふりをして、何も言わなかった。

「今日なんでしょう、私を殺す日。」

はそう言って、俺を見上げる。
なんで、そんなに優しい目で俺を見るんだ。
自分を殺そうとする男を、そんな、優しい目で。

「殺すのなら、ねえ、最後のわがままを聞いて欲しいの。」

は決して、その後を声に出さなかった。
唇だけで、囁いて。
その願いはあまりにも俺が想像していたものとは違った。

――口接け、を。

「最後に私に触れるのが、貴方じゃなきゃ厭。」

強く言ったがとても綺麗に見えた。
俺はそのまま触れるだけの口接けをして、の背に短刀を突き刺す。
内掛けに血がじわりとにじんで、の体がビクリと一瞬震えた。
けれど、それ以上は無かった。

ただ、壁にもたれかかって、は嬉しい、と呟く。

「ねぇ…佐助、私は貴方に少しだけでも愛されたかしら。」

肩を揺らして呼吸しながらかすれた声で言った。
その言葉に、俺は頭を鈍器で殴られた気持ちになった。
きっと俺は今、ひどい顔をしているだろう。

「ごめんなさい、私、とてもひどい女ね。」

そんな俺を見て、は困ったように笑った。
どうして、そんな笑えるんだ。

死ぬというのに。

「どうせ死ぬのなら、貴方の心に消えずに残っていたいって、わがままね。」

死ぬと、いうのに。

「貴方の心に、消えない傷を残してまで。本当、ひどい女。」

悲しく微笑むを、俺はいつのまにか抱きしめていた。
の息が、耳元で聞こえる。

「俺、にそんなに思ってもらう権利、無いのに。」

「佐助、…初めて抱きしめてくれたわ。」


は微笑んで、ありがとう、と囁いた。
そして、耳元で聞こえてた息が、絶える。
















世界が崩壊する日
(俺を愛した少女は、俺に痛みを与えて消えた)